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◆【 交 】


<病>

ルカが華の家を訪ね始めてから、5ヶ月ほどが経っていた。
晴れた日がしばらく続いた後だった。
夕方になって、急に激しい雨が降り始め、ルカは華の家へ出かけることにした。
天候のせいと、「食餌」を採った直後は彼らに会いたくないこともあって、しばらく
間が開いてしまったが、景は元気にしているだろうか。
この前訪ねたときは、華は風邪をこじらせて寝込んでいたが、具合はどうだろ
うか。
もともと体が丈夫でない上に、景を産んでからはちょっとしたことで伏せりが
ちだと言っていた。今が一番寒い季節。よくなっているといいが・・・。

華の家の玄関について、何度か声をかけたが、誰も出てこない。
不審に思っていると、しばらくして、ようやく弥平が姿を見せた。

「あいすみません、すぐに出られませんで」
「どうかしたのかい?」
「それが・・・三枝の若旦那がいらしてまして」

若旦那。華の兄だろう。ただでさえ、華と景を快く思っていないのだ。この上、
ルカのような男が周りをうろついていたら、格好の非難の種を与えてしまうこ
とだろう。

「では、今日は失礼したほうがよさそうだ」
「いえ、お嬢様も流川さまにお話があるようで、ずっとお待ちでしたので、ど
 うぞおあがりくださいまし。若旦那さまには、私の知り合いだと話しておき
 ますので」

ルカは、台所についている板間で、客が帰るのを待つことにした。
少しすると、景が硬い表情でやってきた。
「叔父様が来ているのに、いいのかい」
話しかけても、景はルカの顔も見ようともせず、うつむいている。
「どうした?」
ルカが聞くと、景の目から涙がこぼれ、床板に落ちた。
「かあさまが・・・」
「ん?」
「かあさまが、死んでしまう」
「なんだって?風邪をこじらせただけだろう?」
「肺が・・・いけないって・・・お医者さまが・・・」
客の茶を入れ替えた弥平が戻ってきた。
「弥平さん・・・」
「流川さま、お嬢様は肺を患っておいでなのです」
「・・・そんなに・・・よくないのかい」
「はい・・・もともとお丈夫な方ではありませんので・・・」
弥平は景を気にして、ルカに近寄ると、耳元で言った。
「このままでは何日持つか、とお医者様が」

ルカは呆然とした。ただの風邪だと思っていたのに、10日ほど訪れないうちに、
そんなことになっていたのか。

「かあさまがいなくなったら、僕、叔父様のところに行かなくちゃならないん
 だ。僕、一人になってしまう」
景が、ふいに顔を上げて、ルカを見た。
「お願い、かあさまをたすけて。あんなにたくさんのことを知っている流川さ
 んなら、病気の治し方もわかるでしょう?ねえ」

ルカは答えにつまった。
確かに、一つだけ華を助ける方法がある。そしてルカには、それを実行する力
があるのだ。しかし・・・。




この長い年月。


葛藤。


恐怖。


飢餓。


殺戮。


孤独。


別れないために、
出会うことを避けてきた日々。







「すまない。私にも病気を治す方法はわからないよ」

景はまたうつむいて、着物の膝を握り締めると、涙を流した。

華の部屋から人が出てくる気配がして、ルカは廊下の様子をうかがってみた。
身なりのよい夫婦らしき男女が、廊下を歩いていく。景が廊下に出ていくと、
男が振り返った。

「景か。こちらに来て、挨拶をしなさい」

その声を聞いた瞬間、ルカの背筋に、冷たいものが走った。
ルカの、特殊な能力が嗅ぎ分ける。
なんということだ。
この男が景に話しかける声には、景を見る視線には、殺意がこもっている。

それは一瞬のことだったが、ルカは見逃さなかった。華がこの夫婦に景を渡し
たがらないのも当然だ。実の兄を疑わなければならない華の胸中を思うと、ル
カの心にも、暗い影が落ちていった。

「はい。叔父様、叔母様、お気をつけてお帰りください」
男は軽くうなずいた。
「まあ、なんとか挨拶はできるようになったようね」
冷たい声で、女が言う。景の後姿が、びくりと震えた。
あんな人間達のところへ行かなければならないのか・・・。ルカは景の将来の
日々を思い、胸が痛くなるようだった。
「華さんもこんなことになったし、もうじきうちに来ることになるのよ。せめ
 て行儀作法の面くらいは、恥ずかしくないようにしておいてもらわないと嫌
 だわ」
「そうだな。父もそう長くはあるまい。そうなったら、お前をかばう者もいな
 くなるんだからな」
「若旦那様!」
やりとりを聞いていた弥平が、口を挟んだ。
「いくら若旦那様とはいえ、あんまりなお言葉じゃございませんか」
「なんだ弥平、口答えか。・・・まあいい、お前は父の使用人なのだ。父も華
 もいなくなったら、どこへでも行くがいい」
男は、景の顎を掴むと、上を向かせた。
「ふん、相変わらずの顔つきだ。これではすぐに、異人の子と知れてしまうな。
 全く、父上にも困ったものだ。華がお気に入りだったからな。お前さえいな
 ければ、まともな子供を養子に取れたというのに。華も嫁に出すこともでき
 た」
「本当に。北山家のお話だって断ることもなかったのだわ。あの一族と親戚に
 なれるなんて、めったにないことでしたのにねえ」
「ああ、そうなったら三枝の商売だってもっと手を広げることができたんだ。
 せっかく、北山家の嫡男の嫁に、という話があったのに、まったく華は余計
 なことをしてくれたよ」
景は、いやいやをするようにして、顎を掴んでいた男の手を逃れた。一歩下がっ
て、男を見上げている。
「なんだその目は。いいか、お前はうちが引き取らなければ、どこにも行くと
 ころなぞないのだぞ」
「そうよ、うちの旦那様に感謝することね。華さんにもあなたにも、随分迷惑
 をかけられているというのに、その上あなたを引き取ろうというのですから
 ね。そこのところを、よくわきまえておくことね」

ルカは、板間を飛び出して、三枝夫妻に掴みかかりそうな自分を、必死で抑え
ていた。
襲ってしまったら、自分はきっと彼らを殺してしまうに違いない。
それが華や景や弥平の状況を、更に悪化させるだけだということは、ルカにも
わかっていた。
だからこそ、弥平も耐えている。そしてふすまの向こうで、きっと、華も。
ルカは手で自分の襟元を掴むと、大きく息をして、自分をなだめているしかな
かった。


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