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【 交 】
<託>
三枝夫妻を見送って、景は華の部屋に入った。黙り込んでしまった弥平を気に
しながらも、ルカも華の部屋に入る。華が、布団の上に身を起こそうとしてい
た。
「あ、いけません、どうぞそのまま横になっていてください」
「すみません・・・こんなお見苦しいなりで」
「とんでもない。私こそ、お加減のよくないところに押しかけたりして」
「いえ、あたくしが流川様とお話ししたかったのです」
ルカは思わず、華から目をそらした。
少し見なかっただけなのに、随分やつれてしまっている。もともと細い体が、
更に華奢になった。髪を下ろしていることもあって、いつもよりも幼い雰囲気
なのが、また痛々しく見えた。
「私にお話、というのは?」
「景、席をはずして頂戴」
「でも、かあさま」
「流川さまと、大事なお話があるの。弥平のところへ行っていなさい」
「・・・はい」
景は、華とルカを見比べると、心配そうに部屋を出て行った。
「流川さま」
「はい」
「申し訳ありませんが、あの引き出しを開けていただけないでしょうか」
華の指し示したところには、鏡台があった。ルカが鏡台に近づくと、華は一番
下の引き出し全部抜き出してほしいと言った。
「その奥に、隠し引き出しがあるのです。その中身を、こちらに」
ルカはその小さな隠し引き出しを開けた。中を見ると、封筒を束ねたものが入っ
ている。
「これでしょうか?」
「はい」
ルカは封筒の束を手に、華のそばに戻った。華はルカの手からそれを受け取る
と、洋封筒を一つ抜き取り、ルカに渡した。
封筒は表に華の名が書かれているきりで、他には何もない。
華にうながされて封筒を開けると、更に中に、封筒が入っているのがわかった。
その表には、華の名がアルファベットで書かれていた。
裏を見て、ルカははっとする。そこには巴里の地番と、仏蘭西人男性の名が書
かれていた。
「これは・・・」
「景の父親からのものです」
ルカは華を見つめた。華は上を向いて、天井を見ている。
「その手紙は、あの方からの最後の手紙なのです。もう、7年も前のことにな
ります」
「そうなのですか・・・」
「手紙はいつも、父の会社の者であたくしに味方してくださる方が、仏蘭西に
行ったときに運んでくれていました。その者が7年前に病気で亡くなってか
らは、手紙のやりとりさえできなくなってしまったのです。弥平が何度か、
仏蘭西に渡る人に手紙を頼んだのですが、それも届いているのかどうか」
「そうだったのですか」
ルカは、ずっと気になりながらも、聞けないでいたことを口にした。
「あなたは・・・まだ?」
華の目が、一瞬、遠くを見た。
「景の父親は、あの方ひとりですから・・・」
ルカはそれ以上、聞くことができずに、封筒に目を落とした。
「そちらに書かれているのが、あたくしが知っている、あの方の居場所です」
華は、顔を横に向けてルカを見た。
「流川さま」
「はい」
「これを、預かっていただけないでしょうか」
「この手紙を?」
「はい」
「いや、しかし」
「あたくしは、もうじき景のそばを離れなくてはなりません」
「華さん!」
ルカは思わず、初めて華の名前を呼んだ。
「今、すぐに、ということではないと思いたい・・・けれど・・・」
そこまで言うと、華は激しく咳き込んだ。
「これ以上話してはいけません、続きはまたにしましょう」
「いいえ・・・いいえ、今、聞いていただきたいのです」
華は少し目をつぶって一息ついてから、また話し始めた。
「景は、父親に会いたいと思っています。遠慮して、あたくしには言いません
が・・・一度会ってみたいと思っているのです。あたくしにはわかります。
父親のほうも、景に会いたがっていました。けれど、あたくしとのことで、
日本に渡ることをきつく禁じられて・・・いつかきっと会いにきてくれると
いう言葉をあたくしは信じております。けれど、もう、時間がありません。
もともと、長くは生きられないとお医者様に言われて育ちました。景を産む
ことも、止められたのですが・・・あたくしは、どうしても産みたかったの
です。もっとも、産まれてからも十分に構ってやれない、弱い母親でしたけ
れど・・・」
「そんなことはありません。景くんは、あなたをとても慕っていますよ」
「もっと景のそばにいてやりたいのです。けれど、今度のこの肺病ですぐに、
というわけではなくても、そう遠くないうちに、あたくしはあの子を置いて
いかなくてはならないのです。ですから、この手紙を、流川さまに、預かっ
ていただきたいのです。そして、景が大人になったら・・・ものの分かる年
になったら、渡してやってほしいのです」
「もっと他に・・・身近な人のほうが、いいのではないのですか?」
「勝手を言っているのは、十分わかっているつもりですわ。けれどあたくしは、
流川さまに、お願いしたいのです」
「なぜ、私に?素性もしれないのに」
華はそれを聞くと、ふ、と微笑した。
「前にも申しましたでしょう?あたくしがこれと思った方に、間違いはござい
ませんの」
あ、と思った。初めて会った夜に、同じことを言っていた。
あの時と同じ華の微笑。
救いたい。
ルカは突然浮かんだ自分の考えに戸惑った。
華を、救ってやりたい。
景にも請われた。
そしてルカには、それができる。
華を、死から、永遠に遠ざけることができる。
けれど。それは同時に、ルカが今まで背負ってきた、そしてこれからも背負い
続けなければいけない重荷を、華に与えることにもなるのだ。そんなことが、
自分に許されるのだろうか?
そして、それは、華にとって幸せなことなのだろうか?
違う。それは絶対に、違う。
やはり、そんなことはできない。
けれどこの人に、何かをしてやりたい。自分ができることなら、何でも。
「・・・わかりました」
「流川さま」
「私が、手紙を預かりましょう。そして、時がきたら、景くんにお渡しします」
「・・・ありがとう、ございます」
華はほっとした顔を見せた。
「さ、これで心配事はなくなったでしょう。貴女はご自分の体のことをお考え
にならなくては」
「ええ」
「もうお休みになるといい」
「そうします」
ルカは手紙をふところにしまった。それを見ていた華が、小さな声で言った。
「あたくしは」
「はい」
「あたくしは、ずるい女ですわね」
華はそう言うと、目を閉じた。
途端に、そこから、涙が溢れて、枕に流れ落ちる。
その言葉の意味を尋ねることもできずに、ルカは脇にあった手ぬぐいで、その
涙を拭った。
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