BLUE: A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI (総評)
No.11
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分類:アルバム(トリビュート) 発売元:SME RECORDS(SECL67/\3,059)
------------------------------------------------ 尾崎というと、歌詞や言動ばかりがクローズアップされているように思う。 しかし、その歌詞を含めた曲全体が良いからこそ、あれだけの支持を集めたのだろう。私自身、メロディーの良さがなかったら、あんなに聴き込みも歌い込みもしなかったと思う。
このトリビュートアルバムは、尾崎の「曲の良さ」を再確認させてくれる。 選曲も歌い手も、尾崎のプロデューサーだった須藤晃氏が練りに練ったものだ。尾崎をよく知る人々だけを集めたわけではないあたりに、却って須藤氏の、尾崎の曲に対する思い入れを感じる。そして、その選曲と人選は、素晴らしいの一言に尽きる。須藤氏以外に、このレベルのトリビュートアルバムを作れる人はいないんだと思う。 尾崎がデビューしたころから、須藤氏の存在は大きかった。一介のファンであった私でさえ、それを感じた。須藤氏のような「大人」がいたからこそ、あの日の尾崎があったのだと思う。
このアルバムに納められた曲のほとんどが、私にとって思い入れの深い、それこそ尾崎の発音の癖やブレスの位置まで覚えこむほど聴き、口ずさんできた曲。それが、アレンジも歌い手も違うというのに、意外なほどすんなり耳になじんでくる。 原曲以上に、シンプルにアレンジされた曲が多いのも一因だ。 4枚目のアルバム「街路樹」を初めて聴いたとき、非常に違和感を感じた。音数が多くなったというか、アレンジが極端に変わったのだ。尾崎なりに音楽への試行錯誤をしているところなのだろうとは思ったものの、なんとも微妙なアレンジだし、タイトル曲「街路樹」のエンディングでは、その壮大なストリングスとコーラスに、思わず笑ってしまったほどだ。これは、やりすぎ。むしろ曲の良さを損なっているとさえ感じたものだ。 アルバム発売直後の東京ドーム公演。 周りがアツくなればなるほど、冷静になっていく自分がいた。 カリスマと呼ばれ、尊敬される存在になっていく尾崎。もう、私の声は届かない。彼の声も、私に届かない。「俺を信じるヤツはついてこい」そんな台詞を口にする彼に、到底ついていけるわけはなかった。私が好きだった尾崎は、そこにはいなかった。 二年後にリリースされた「Birth」。収録曲のいくつかに見覚えはあるものの、メロディーや内容は思い出せない。購入したものの、ほとんど聴かずにどこかへしまい忘れてしまったようだ。 話がそれた。トリビュートアルバムに戻ろう。 このアルバムでは、どの曲もアレンジがシンプルだ。こういったアレンジでこそ、彼の曲の良さは際立つ。聴かなくなってしまった曲も、もし、もう一度リミックスされて尾崎の声で出されるなら、聴いてみたい。
あのまま活動を続けていれば、彼はいつか原点に戻ったのではないかと、ずっとどこかで考えている。無論そんなことは無意味なんだけれど。ひょっとしたら、私が思う方向とは、更に違う方へ進んでいたかもしれないしね。
彼の死後、彼の葬儀に集まる人々を、歩道橋の上から見ていた。彼が最期を迎えた場所を見に行ってみた。メモリアルプレイスになっているビル。どこにも彼はいなかった。私の仲間もいなかった。墓地にも行った。整然と並ぶ区画に、キレイに清掃された新しい墓石。 違う、と感じた。こんなところに彼はいない。こんなところで、静かに眠っているはずがない。 渋谷の街の中、路地裏、紙くずが散乱する路上。 そこでサングラス越しに、四角く切り取られた空を見上げ、歌う姿が浮かぶ。彼はそこにいる。今でもきっと。
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2004/03/26
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